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日朝平壌宣言

2002年9月17日に日本と北朝鮮の首脳同士で締結された宣言であり、日本の現役首相が初めて平壌を訪問して開催された最初の日朝首脳会談の成果である。署名は「日本国総理大臣小泉純一郎」と「朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長金正日」である。日朝ともに国家元首の署名ではなく、首脳の署名であった。
日朝平壌宣言は、要約すれば、4項目で成り立っている。

1. 国交正常化を早期に実現させるため、日朝国交正常化交渉を再開させる。

2.日本側が過去の植民地支配について「心からのお詫び」を表明した。国交正常化交渉では、国交正常化後に実施する経済協力の規模と内容、国際協力銀行等による融資や信用供与など、1945年8月15日以前の両国及びその国民の全ての財産と請求権を相互に放棄するとの基本原則の具体化、在日朝鮮人の地位に関する問題と文化財の問題を協議する。

3. 日朝は、国際法を遵守し、相互に脅威となる行動をとらない。「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」について、北朝鮮側が今後再び発生しないよう適切な措置をとる。

4. 日朝は、朝鮮半島の核問題とミサイル問題を含む安全保障上の諸問題の解決のため、関係諸国間の対話を促進し、問題解決をはかることを確認した。北朝鮮側は、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降もさらに延長していく意向を表明した。

 

草案は日本側で準備していた。日朝首脳会談では双方の実務者が文面を調整した。宣言では「拉致問題」とは書かれていないが、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」がそれに該当する。北朝鮮側が「拉致」という言葉を忌避したためとされる。

日朝平壌宣言はその後の日朝国交正常化を実現するための基礎になり、拉致問題と核問題、ミサイル問題、経済協力問題が日朝国交正常化交渉の論点になった。2014年5月29日に発表されたいわゆるストックホルム合意の冒頭でも「双方は、日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために、真摯に協議を行った」と記されている。ただし、どの論点を優先事項とするのかで日朝は対立している。

宮本 悟(聖学院大学政治経済学部 教授)

関連キーワード:日朝首脳会談、拉致問題、経済協力問題

参考サイト
日朝首脳会談後の記者会見(日本語)

同上(英語)

拉致問題に関する日朝合意文書(日本語)

(以上、データベース「世界と日本」より)

主要参考文献
船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン――朝鮮半島第二次核危機』朝日新聞社、2006年
高崎宗司『検証 日朝交渉』平凡社、2004年