1872年東京 日本橋
1933年東京 日本橋
1946年東京 日本橋
2017年東京 日本橋
1872年8月〜10月北京 前門
現在北京 前門
1949年前後北京 前門
1930年代北京 前門
1895年台北 衡陽路
1930年代台北 衡陽路
1960年代台北 衡陽路
現在台北 衡陽路
1904年ソウル 南大門
2006年ソウル 南大門
1950年ソウル 南大門
1940年代初ソウル 南大門
金廣烈(光云大学校国際学部・教授)
韓国社会では、つい10年前までは、近現代に発生した民族受難史のなかでも1923年9月に日本の関東大震災直後に発生した朝鮮人大虐殺事件に対する認識度は低い方であったと言える。それは、アジア太平洋戦争時の強制動員被害や、1950年代はじめの朝鮮戦争により発生した莫大な人的・物的被害に対する記憶が、日常において想起されていたため、それよりかなり前に日本で起きた朝鮮人大虐殺の事実は、韓国人一般にとって、すぐには実感されない歴史として存在したのではないかと推測される。
韓国において、関東大震災時の朝鮮人虐殺被害に対して、社会運動の次元での動きが開始されたのは、2007年11月に天安の「アヒムナ平和学校」という私設教育機関を運営している金鍾洙牧師を中心に、「関東大地震朝鮮人虐殺真相糾明と名誉回復のための韓日在日市民連帯」という団体が発足された以後であると言える。彼らは、主にプロテスタント教会でシンポジウムや広報活動を少しずつ展開しながら、朝鮮人虐殺事件の真相糾明のための特別法を制定させようとしたが、その事実に対する認知度が低かった当時の韓国の実情では、法案の発議すらできなかった。
しかし、2013年ごろから変化が見られた。関東大震災朝鮮人虐殺事件90周年を迎えた2013年8月22・23日に、外交通商部傘下の東北亜歴史財団で「関東大地震と朝鮮人虐殺事件」というテーマで韓日両国の研究者らによる学術大会が開催された。このテーマに関して韓国で開催された最初の国際学術大会であったが、これにより韓国の歴史学界において、当該テーマが若干ではあるが照明をあびる機会になった。翌2014年の春には、韓日在日市民連帯の尽力により、韓国国会(第19代)で「関東大地震朝鮮人虐殺事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法案」が議員発議され、同年5月26日には、その立法活動を後援する市民団体「関東大地震朝鮮人虐殺事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法推進委員会」(共同代表:金廣烈、金鍾洙他6名)が設立された。この特別法推進委員会は、以後2年にわたり、国会の分科委員会で関連国会議員らの関心を喚起させながら、該当法案の通過のために努力したが、結局その法案は成立せず、第19代国会の会期は2016年2月に終了してしまった。
その後2016年には、韓国における関東大震災朝鮮人虐殺に関する運動は、従来とは異なる新たな試みがあった。つまり、上述した特別法制定運動をするにはまだ韓国人一般の1923年の大虐殺事件に対する認識が高くないため、一般人が容易に接することができる場所で虐殺犠牲者の追悼行事を実施しようという試みであった。1923年の朝鮮人虐殺事件の真相糾明がなされていない韓国の現実と、最近日本で在日コリアンに対する排外主義デモが蔓延している極めて憂慮される現実が重畳しているとみて、韓国社会で一層その歴史を知らせ、警鐘を鳴らす必要があると判断したためである。よって、この趣旨に共感する市民らが2016年2月に鍾路のシアル財団の事務室に集まり、「1923年虐殺を受けた在日韓人追悼モイム」(共同代表:金廣烈、ハム・インスク他2名、実行委員:呉充功、チョン・ヘギョン、成周鉉、オ・イルファン、南基正他5名)を発足した。以後、同追悼モイムは、同年8月に追悼行事を開催することにし、具体的な準備に取り掛かった。その結果、2016年8月19・20日に、初めて公開的な場所で追悼行事が開催されたが、ソウル市民庁では写真展示会と映画上映を、光化門広場では追悼式と関連民俗行事を開催した。この2016年8月に実施された追悼行事は、その間韓国で行われた類似行事に比べ、マスコミに報道される頻度が高かった。それだけ、韓国人一般にとって、関東大震災直後の朝鮮人虐殺の事実を広く知らせる効果をもたらしたと言える。
その延長線として、2017年には一層より多様な行事が実施された。8月25日に鍾路基督教会館で「1923韓日在日市民連帯」が追悼行事を、8月26日には天道教中央大教堂で「1923年虐殺を受けた在日韓人追悼モイム」が追悼式および学術大会を開催し、8月30日に釜山ではドキュメンタリー監督の呉充功氏の取り持ちで、7名の遺族らによる「関東震災朝鮮人虐殺犠牲者遺族会」が結成された。特に8月26日に天道教中央大教堂で行われた追悼行事は、韓国で初めて追悼式と学術大会をともに行う形態をとったものである。学術会議の大きなテーマは「日本関東大地震直後韓人大虐殺事件と在日韓人の現住所」で、田中正敬(専修大)、金廣烈(光云大)、金雄基(弘益大)、金仁德(青巖大)らが発表者として登壇した。韓国で1923年の在日朝鮮人虐殺事件に対して過去と現在を合わせたテーマで学術会議を行ったのは、初めて出会った。また、釜山で初めて関東虐殺犠牲者の遺族会が発足したという知らせは、韓国でこの運動が新たな様相に差し掛かったということを意味した。いずれにせよ、韓国で関東大震災虐殺事件関連の行事が3件も相次いで開催されたのは、2017年が初めてであった。これは、上述したように、2013年から2016年まで当該運動に関与した人々の努力の結果であると言える。
一方、2017年度には、日本から入ってくる関連情報も、韓国人一般の当該事件に対する関心を誘発した。2017年4月19日に、韓国のマスコミは、一斉に朝日新聞の報道を引用し、日本の内閣府がホームページで、日本政府傘下の「災害教訓の継承に関する専門調査会」が作成した複数の災害に関する調査報告書(2003年から2010年までの分)を削除したが、そのなかには関東大震災時の朝鮮人虐殺について「殺傷事件の発生」という項目で記述したものも含まれていたと報道した。日本政府が、最近の日本社会の右傾化現象の圧力を受けてそのようにしたのではないかという批判があった。また、8月24日に、韓国の地上波放送および大部分の新聞は、小池百合子東京都知事が、毎年9月1日に東京の横網町公園で実施する関東大震災朝鮮人被害者追悼式に都知事名義で送った追悼文を、今年からは送らないことにしたというニュースを一斉に報道した。そして、そのような小池氏の決定は、これまで見せてきた右翼的な歩みと連結されるものであると批判した。また、韓国のマスコミは8月30日付の記事で、東京の墨田区庁長までもが、毎年送っていた追悼文を、都知事と歩調を合わせて送らないことにしたという知らせを伝えながら、最近日本の右翼が関東大震災朝鮮人虐殺被害を歪曲しようとする動きが顕著になったと批判した。
歴史の未解決問題をめぐり、行政当局が過去と異なる措置を取る時には、任期制機関長の恣意的判断に従うというよりは、明確な根拠に立脚して決定する必要がある。客観的な形態の調査研究を通じて既存の事実を覆す明確な証拠が出てくるのであれば別問題だが、そうでなければ既存に行った慣例的な措置を行うことが正しいと考える。小池氏のそのような措置は、右傾化した支持者らの趣向に合わせて自身の政治的な地盤を広げるためのものであるようだが、結果的にこの問題に関して韓日両国の国民間の感情の溝をより深くする、良からぬ結果を招来している。
以上で見たように、最近韓国では、関東大震災朝鮮人虐殺事件を追悼したり、学術的に注目したりする行事が増加し、日本で報じられる関連ニュースもリアルタイムに報道され、韓国人一般のそれに対する批判的な関心も、以前より高まっている。いまや、関東大震災時の朝鮮人虐殺問題が、韓国でその他の歴史未解決問題のように注目され始めたという証左であると言える。
翻訳:佐藤雪絵(早稲田大学大学院)