和解学の創成

  • 1872年東京 日本橋

  • 1933年東京 日本橋

  • 1946年東京 日本橋

  • 2017年東京 日本橋

  • 1872年8月〜10月北京 前門

  • 現在北京 前門

  • 1949年前後北京 前門

  • 1930年代北京 前門

  • 1895年台北 衡陽路

  • 1930年代台北 衡陽路

  • 1960年代台北 衡陽路

  • 現在台北 衡陽路

  • 1904年ソウル 南大門

  • 2006年ソウル 南大門

  • 1950年ソウル 南大門

  • 1940年代初ソウル 南大門

BS-TBS「報道1930」(2019年3月4日月曜「三一独立運動から百年『和解学』で解く日韓関係」)に出演して

新学術領域研究「和解学の創成」研究代表 浅野豊美

昨日、無事にBS-TBSの「報道1930」への出演を終えました。今回、このような形で生番組への出演の機会を与えていただきましたこと、松原キャスターをはじめとするBS-TBSのスタッフの皆様に、まずは「和解学」をテレビという映像の世界で最初に大きく取り上げていただいたことに深く感謝申し上げます。また、議論を共に交わさせていただき、改めて今の日本政府の立場をお示しいただいた佐藤正久副大臣にも感謝申し上げます。

番組の中心的なテーマとなったのは、なぜこんなに日韓関係は悪化してしまったのかという問題です。この問題を米中関係や韓国の対外貿易構造、北朝鮮を巡る変化、そしてそれらと絡んだ韓国国内の政権構造などの視点からのみに特化した視角からではなく、三一独立宣言から百周年のイベント、および、若者の食物・アニメーション・旅行・音楽などを求めて交流する姿と絡めて、考えようというのが番組の趣旨でした。こうした観点から、「和解学創成」をめざす本プロジェクトに関心を注いでくださったことは、何とタイムリーな企画であったことでしょう。BS-TBSに深く敬意を表します。

個人的な感想で恐縮ですが、番組の最中は、自分が表現したいことを適確な短い言葉で明瞭に表現することが、テレビでは死活的に必要であることを思い知らされました。三一独立宣言を起草した崔南善、李光洙や、その後の彼らの運命、そして精神的な背景をなす天道教などについては、全く触れられることができなかったことは残念でしたが、松原キャスターが何度も話を振ってくださったこと、まことにありがたいことでした。

私の議論はなぜ、国民感情とそれを支える記憶や規範が大事なのかという部分で、大部分の時間は使い果たしたように思います。国益とパワーの最大化をめざす国家と、戦略的利益の共有、経済構造の変化と摩擦、そして韓国国内政治における保守派と民主派、日本の安倍内閣の外交というのが、朝鮮半島をめぐる国際政治をマスコミが取り上げる際の基本的な概念ということができますが、そうした既成概念では捉えられない「国民感情」を、議論の俎上に上げる必要があるというところで、議論は錯綜したように思います。

しかし、安倍談話の中で「謝罪」を未来永劫、子供達にさせないようにする責任があるといわれているように、「謝罪」や「許し」はまさに感情そのものです。これは国民感情ということができると思いますが、集合的な感情という非合理的なものが、いかに生み出されてきたかについては、ナショナリズム研究が展開されてきました。つまり非合理的なものを、ナショナリズム研究では、近代社会の流動性や、それに対応した義務教育、共通語の必要、エスニック的なルーツの世俗化と再編成などの合理的な概念によって説明してきたわけです。東アジアにおける紛争は、まさに、そうして国民という集団を作り上げている我々の記憶や、それに由来する正義感・規範の衝突であって、そうした構造を解明することで、歴史、大衆文化、教育、市民運動、そして政治や外交における摩擦を減らしていくことができるのではないかというのが、和解学の基本的な出発点です。相手への共感と配慮そして思いやりは、その結果として回復されるのではないでしょうか。それを直接に目的とした運動と、学問とは異なります。

そもそも、非合理的な記憶や感情が、国家中心の正義観念や法的論理と結合することで、国民感情は作り上げられる。こうした構造を自覚化するために、いまの日韓の両政府の間の冷え込んだ関係は、まさにその映し鏡のような存在ではないでしょうか。日本政府の側の法的論理は、確かに佐藤副大臣がご説明になったように、一見すると完璧に見えます。しかし、日本がこれから隣国と仲良くやっていこうとする限り、少なくとも韓国の国民の多くが異なる正義に立脚して元慰安婦のおばあさんに共感を寄せている状況を無視して、その論理を繰り返すだけでは不十分で、たとえ心から満足はさせられないにせよ、ある程度納得させられる大きな論理を、地域的な公共性を念頭に創造することが必要だと思っています。

そういう意味で東アジア発の紛争解決学こそ和解学であります。それにしても、番組の最後にメモが差し入れられて、討論の内容が、正確に論理的に短い言葉で要約されたことには、深い感銘を覚えました。東アジアという歴史的空間の中で展開する国際政治を捉えるという点で、それは東アジア発の国際政治学といったほうが明確なイメージを結ぶかもしれません。しかし和解の基礎を支えるのは政府や国民だけではなく、自由な意思で結合し取引をし文化を楽しむ市民であること、そしてそうした市民的関係は政治のみならず経済や文化にも関連するという意味で、東アジア発の紛争解決学と呼ぶのがふさわしいと思っております。

番組の中では、少し誤解があったかもしれませんが、和解学は和解実現を直接目指す何かの運動ではありません。非合理的な強いモチベーションや感情をこそ、我々が冷静に議論できるための基礎となる知的インフラ(紛争和解事典はウェブで提供開始しました、和解学の方法論的書籍も夏に発刊されます、合同制作映画的なものを興隆させる仕組みも企画中です)こそ和解学です。この和解学を応用することで、地域全体の公共性を支える「大きな物語」を、国民同士の記憶や規範を包摂しながら、時に激しい議論を戦わせつつ作り出せるのではないかと思います。

具体的には、国民的なイベントを国際的追悼の場とすること、若者の深くて濃い対話を通じた直接民主制的な空間を議論を戦わせる闘技の場として作り維持すること、そして共同制作のドラマや映画を最先端の歴史研究を反映して、いままで映画の素材とならなかった感情的交流関係・その断絶の具体的な様相に焦点を当てて制作すること、そして歴史に絡まった人権被害者については、残留孤児や日本人引揚者、そして韓国人慰安婦を含めて、人権委員会的な機関を、両国の国民的な支持をベースにして作っていくことなどが、大きな物語や地域的な公共性の具体的な形となることでしょう。

まずは、学者・研究者のレベルで、可能なところを目指してまいりますが、今回、BS-TBSから声をかけていただきましたこと、今後、市民やマスメディアの方々とも協力して、地域的な公共性を支える知的インフラ建設への流れが生まれるのではないか、大いに励まされました。そうした期待を受けつつ、和解学のプロジェクトを今後も推進してまいりたいものです。重ね重ね、素晴らしい番組をありがとうございました。