1872年東京 日本橋
1933年東京 日本橋
1946年東京 日本橋
2017年東京 日本橋
1872年8月〜10月北京 前門
現在北京 前門
1949年前後北京 前門
1930年代北京 前門
1895年台北 衡陽路
1930年代台北 衡陽路
1960年代台北 衡陽路
現在台北 衡陽路
1904年ソウル 南大門
2006年ソウル 南大門
1950年ソウル 南大門
1940年代初ソウル 南大門
北朝鮮の公的機関が引き起こした世界各国での強制失踪事件の問題である。北朝鮮政府が認めた日本人拉致がよく知られており、日朝交渉において日本が優先事項として北朝鮮に解決を求めている問題である。他にも、アメリカやタイ、ルーマニア、レバノン、中国、韓国などでも北朝鮮の公的機関に拉致された可能性がある人たちがいる。
2018年11月30日現在、日本政府が拉致被害者と認定しているのは17名であり、拉致された時期は1977年から83年の間である。また「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない人」が883名いる。
17名のうち最初の拉致被害者は東京都三鷹市市役所警備員であった久米裕であり、1977年9月19日に石川県宇出津海岸付近で発生した(宇出津事件)。拉致の共犯者である在日朝鮮人が石川県警に検挙されたことで明るみに出たが、当時の報道では拉致事件ではなく密出国事件として扱われた。
日本人拉致問題を最初に取り上げた記事は、阿部雅美による「アベック3組ナゾの蒸発」(「産経新聞」1980年1月7日付)である。北朝鮮の公的機関による日本人拉致が初めて公式に明らかになったのは、在日朝鮮人2世であった辛光洙が、拉致した原敕晁になりすまして入国した韓国で逮捕されたことが1985年6月28日に韓国で発表されたことによる。
1987年11月29日に大韓航空機を爆破して、逮捕されて韓国に移送された金賢姫が1988年1月15日に記者会見で李恩恵という日本から拉致された日本人女性から教育されたと発言したことで、日本のメディアが日本人拉致について一時的に報道するようになった。
1988年3月26日に国会予算委員会で国家公安委員長である梶山静六が、1978年7〜8月に日本沿岸で発生したカップルの行方不明事件を北朝鮮による拉致の疑いが十分に濃厚であると認め、日本政府が初めて北朝鮮による拉致疑惑を明らかにした(梶山答弁)。
1991年から始まった日朝国交正常化交渉で、李恩恵問題として最初に拉致問題を提起したのは、第3回日朝国交正常化交渉本会談3日目の1991年5月22日である。北朝鮮側が本会議で拉致問題の協議を拒否したため、実務者協議で協議されたが、1992年11月5日に開催された第8回日朝国交正常化交渉本会談での実務者協議で北朝鮮側の千竜福・副団長が協議の打ち切りを宣言した。その後の約10年間、北朝鮮では拉致問題は存在しないとして、交渉を拒んできた。
1977年に新潟県で失跡した中学生である横田めぐみが北朝鮮に拉致されていた疑惑が、「20年前13歳少女拉致」(「産経新聞」1997年2月3日付)で初めて報道され、同年3月25日に拉致被害者の8家族によって「家族会」(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)が結成された。さらに、1998年4月18日に全国単位の支援組織として「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)を結成されたことで、日本全国で拉致問題の解決を求める声が高まった。
2002年9月17日に開催された第1回日朝首脳会談において、北朝鮮側が、日本人の拉致を初めて認め、当時日本政府が認定していた拉致被害者13名のうち4名は生存、8名は死亡、1名は北朝鮮入境が確認できないと伝えた。日本政府が認定していなかった1名の拉致も認めて、その生存を確認した。その上で、関係者の処罰および再発防止を約束すると同時に、家族の面会および帰国への便宜を保証すると約束した。
2002年9月28日から10月1日まで日本の「拉致問題に関する事実調査チーム」が平壌を訪れ、拉致問題に関する事実調査を行ったが、北朝鮮提供の情報が限られていた上、内容的にも一貫性に欠け、疑わしい点が多々含まれていた。
2002年10月15日に拉致被害者5名が一時帰国したが、10月24日に日本政府は5名が日本に引き続き残ることを発表した。さらに、2004年5月22日に開催された日朝首脳会談で、拉致被害者の家族5名の日本帰国が合意された。さらに3名が同年7月18日に帰国・来日した。
2006年9月29日に日本では内閣官房拉致対策本部が設置され、拉致問題に対処することになった(2009年10月13日廃止・再設置)。その後も、日朝間で拉致被害者の調査について協議されたが、拉致被害者の家族が納得できるような説明と証拠はまだ出ていない。2014年5月29日に発表されたいわゆるストックホルム合意に基づいて、北朝鮮では特別調査委員会を組織し、拉致被害者の再調査を始めた。しかし、調査結果を出さないまま2016年2月13日に特別調査委員会の解体を発表した。ただし、日朝ともにストックホルム合意を否定したわけではない。
宮本 悟(聖学院大学政治経済学部 教授)
関連キーワード:家族会、ストックホルム合意、内閣官房拉致問題対策本部
一次史料
参考サイト
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会 全国協議会)
主要参考文献
チャールズ・R・ジェンキンス『告白』伊藤真訳、角川書店、2005年
蓮池薫『夢うばわれても――拉致と人生』PHP研究所、2011年
阿部雅美『メディアは死んでいた――検証 北朝鮮拉致報道』産経新聞出版、2018年