1872年東京 日本橋
1933年東京 日本橋
1946年東京 日本橋
2017年東京 日本橋
1872年8月〜10月北京 前門
現在北京 前門
1949年前後北京 前門
1930年代北京 前門
1895年台北 衡陽路
1930年代台北 衡陽路
1960年代台北 衡陽路
現在台北 衡陽路
1904年ソウル 南大門
2006年ソウル 南大門
1950年ソウル 南大門
1940年代初ソウル 南大門
総括班主催「人類学との対話ー環太平洋地域における先住民をめぐる和解の歴史」
【日時】2019年4月22日(月)16:30-18:00
【場所】早稲田大学14号館960号室
【講演者】Martin Dusinberre 博士
(チューリッヒ大学教授、グローバルヒストリー委員長、歴史セミナー担当)
【司会】浅野豊美(領域代表)【討論者】梅森直之(思想理論計画研究班代表)
発表は、まず、タイトルを「環太平洋地域における先住民の歴史をグローバル・ヒストリーにいかに包摂するか」と修正したいという点から始められました。その修正の要点は、先住民の全く次元の異なる「歴史」(循環史観でもあり自然史でもあるようなものとして固有の「絵」を素材に解説)と、均等に流れる時間や空間をベースとする歴史といかに調和させることができるか、その調和を通じて、いかにより次元の高いグローバルヒストリーを構想できるかという点にありました。
そうした高い次元にのぼったグローバル・ヒストリーの構築によってこそ、我々はさまざまに異なる意味を有する集団の記憶を紡ぎ合わせる和解が実現できるのではないかという点もまた、ご発表の要点であったように思います。デューゼンベリ先生のグローバルヒストリーへの基本的な関心は、歴史の主体の問題を中心に、チューリッヒ大学への就任演説に示されています。
今回の早稲田大学における報告の中でも目を引いたのは、ハワイ王朝がハワイに来た日本人移民をハワイの文化と溶け合うように描かせた絵(Joseph D. Strong, ‘Japanese Laborers on Spreckelsville Plantation, Maui’ (1885); 上記就任演説から引用)、近代日本がヨーロッパ文明に魅了された時代に描かれた日本郵船の航路図、そしてオーストラリアの先住民が描いた海と陸をまたぎ循環する水を描いた絵です。特に、最後の絵は先住民の人々が収穫祭にダンスを踊ったり、沈黙の中に感謝と祈りを捧げながら生活した息吹を感じさせるものでした。我々が歴史として教えられた、教科書に掲載された物語が、いかに「国民」として「個人」にアイデンティティをあたえるものであるのか、また、現在のグローバルヒストリーでさえ時間と空間の規定の仕方や歴史の機能においてはむしろ国民史に近いところにあるのではないか、深く考えさせられました。人類学が対象とする人間の生活全てを、丸ごと捉える手法の重要性、その中で歴史や記憶の社会的機能を考えなければならない。むしろ、近代がいかなる形で、社会全体を編成し、パワーや帝国への願望を換気しつつ、民衆の意味に満ちた小さな世界を大きな物語の中へ編成していったのか、改めて考える必要があるのではないかと思います。
国民への想像力を紡ぎ合わせる和解のためには、むしろ、踊りや祈りをベースとする演劇的な手法が有効ではないかということを教えていただきました。今後、そうした取り組みを強化して行きたく思っています。
本日の報告の詳しい内容は、いずれ、デューゼンベリ先生ご本人からご寄稿いただきたく予定です。とりいそぎ、報告申し上げます。
早稲田大学 浅野豊美