1872年東京 日本橋
1933年東京 日本橋
1946年東京 日本橋
2017年東京 日本橋
1872年8月〜10月北京 前門
現在北京 前門
1949年前後北京 前門
1930年代北京 前門
1895年台北 衡陽路
1930年代台北 衡陽路
1960年代台北 衡陽路
現在台北 衡陽路
1904年ソウル 南大門
2006年ソウル 南大門
1950年ソウル 南大門
1940年代初ソウル 南大門
早稲田大学 政治経済学術院 教授
梅森 直之
紛争も和解も、人間が生きていくうえでの実践上の問題である。人が生きていく限りにおいて、紛争が不可避である以上、和解もまた、つねにすでにわれわれのうちにある。紛争と和解は、人間の条件といえるであろう。
たとえば和解は、裁判の局面で頻繁に用いられる日常語である。それは、不当な行為によって傷ついた人に対し、傷つけた側に適切な償いをすることを命じ、かれもしくは彼女が、再び生きるための社会的条件をつくり出す実践である。この意味で和解は、つねに時間との闘いであり、個人の生の有限性を所与として、紛争を解決に導くために案出された社会的な技術であるといえる。
紛争は、歴史という法廷においては、しばしば異なったあらわれかたをする。それは、社会に内在する構造的暴力をうきぼりにし、それに抵抗し、その変革を求める実践として機能するからである。人類の歴史を特徴づける変革や革命は、けっして紛争抜きに実現したものではない。和解が社会の安定性を所与とし、個人のそこへの速やかな復帰をめざす営みである以上、その社会そのものの変革を求める実践は、反和解としての性格を有することになる。和解と反和解を両極とするこのスペクトラムのうちに、和解を思想・理論的に考察することの意味と可能性が存在する。
現在、東アジアでは、歴史に由来するさまざまな紛争が顕在化し、和解をめぐる方途が、さまざまに提案されている。とりわけ日中、日韓のあいだでは、歴史認識をめぐる深刻な対立が存在し、多くの人々がその将来に対して、きわめて悲観的な見解を表明している。しかしながら私は一方で、この紛争が、あくまでも言説の紛争であり、現在のところ物理的な暴力をともなう紛争へと発展していないことの意味を積極的に考えてみたい。
このことは、けっして言説の紛争が有する暴力性を、軽視するものではない。言説は、物理的強制と同様に、個人の生を圧殺するだけの暴力性をもちうる。しかしながら一方で、現在の東アジアの歴史認識対立を特徴づける感情の拡がりと深さは、一定の歴史状況のなかで誕生してきたこともまた事実である。民主化と経済発展という経験を通じて、東アジアに生きるより多くの人々が、より深く、広く、自国と他国の来歴に関心をもつようになった。これは東アジアという地域において、歴史上はじめて登場した画期的な状況であり、人類史全体を通じても、きわめて稀な歴史的経験といえるのではないか。
現在われわれが直面しているさまざまな歴史紛争もまた、そうした構造変動に対応し、この地域における新しい生のかたちを生み出すための産みの苦しみでもありうる。和解という問題を、この地域の歴史的経験に即して、根源的に検討し直すことは、未だ来たらぬ東アジアの新しい共同性の構築に向けての不可欠な一歩である。