和解学の創成

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真珠湾という「和解」(半澤朝彦)

Visiting Pearl Harbor: Reconciliation of a Kind

明治学院大学 国際学部国際学科

准教授 半澤朝彦

Asahiko Hanzawa

 

昨年のクリスマス直前、プライベートな休暇でハワイに行った際、真珠湾を訪れた。今回、とくに研究上の目的があったわけではない。暖かいハワイで骨休めをするついでに、日帰りツアーに申し込んだのである。とはいえ、今年始まった「和解学」のことも念頭にあった。初めての真珠湾の印象を記しておきたい。

写真1

国際政治や日米関係に多少でも関心があれば、真珠湾はぜひ訪れてみたい場所であろう。歴史の残し方、博物館や記念館などの展示のし方は、記憶や歴史観、そして現在の政治とも密接な関係がある。私は、昨年一年間だけでも、靖国神社の遊就館広島の原爆死没者追悼平和祈念館ニューヨークの911メモリアル、ハルビンに最近完成した731部隊の新しい展示館などを訪れ、いろいろ考えるところがあった。

今回、ハワイに飛ぶ前に、日本からインターネットで現地の旅行会社の英語のツアーに申し込んだ。個人でふらりと現地に行くと長蛇の列でかなり待つ恐れありと聞いたし、日本の旅行社のサイトにある日本語ツアーには空きがなかったからである。まあ杞憂だろうとは思ったが、「卑怯なだまし討ち」を行ったジャップの子孫が、アメリカ人主体のツアーに交じっていくのは居心地が悪いのだろうか、とはぼんやり考えていた。

写真2

ツアー当日、ワイキキのホテルにマイクロバスが迎えに来てくれた。バスが走り出すとガイドのお兄さんの点呼が始まる。20人ほどの即席の団体ツアーで、単に名前の確認だけでなく、一人づつ「どこから来ましたか」と出身を聞いてくれる。カナダとスウェーデンからが一人づついたが、他は全員アメリカ本土からの観光客で、「オハイオです」とか「フロリダから」とか「シンシナティ」などと答えている。「ミスターハンザワは」と問われ、とっさに「ジャパン」を避け、「トウキョウ」と返答。一瞬の沈黙があったようにも感じたが、「オー、ジャパーン、グレート」と明るく返してくれた。

写真3

次いでガイドの彼は、歴史に詳しくない人にも分かるように、真珠湾攻撃について概説を始めた。どんな説明をするのだろうか。まずは、当時が帝国主義の時代であったという全体状況が説明され、中国大陸の利権をめぐって日米が対立していたこと、日本軍の仏領インドシナ進駐に対抗してアメリカが石油禁輸を行い、日本が追い詰められていたことなどが指摘される。国際政治の背景は一応バランスよく目配りされている印象がある。少なくとも、単に日本がいきなり狂人のように襲撃してきた、というプレゼンテーションではない。また、奇襲を指揮した山本五十六はハーバード大学に留学したインテリであり、徹底的に緻密な計画を立てていたこと、計画した第三波までの空襲がすべて成功しない限り、最終的に対米戦争に勝利することはできないだろう、と予言していたこと(実際には、第三波は実行できず、山本の予言通りになった)なども説明された。さらに、戦後70年にわたって日米が強固な同盟国、友人であり続けていることも強調される。思いのほか、日本に対するリスペクトを感じる解説であった。

写真4

ワイキキから40分くらいで真珠湾に到着。最初に訪問したのは、湾岸戦争まで現役で、現在見学用に係留されている「戦艦ミズーリ」である(写真1,2)。ミズーリは、真珠湾攻撃の時にはまだ存在せず、戦争中に建造された。日本人になじみ深いのは、一九四五年九月の日本の降伏文書調印の場となったからである。トルーマン大統領の選挙区がミズーリで、この名前が付けられた。ミズーリに乗り込むとたくさんの観光客がおり、他のツアーのガイドたちの声にも聴き耳を立ててみる。日米戦争の描写としては、われわれの団体のガイドと大同小異の内容であった。

写真5

どのツアーも必ず説明しているのが、右舷中ほどにわずかに認められる、日本の特攻機が衝突してできた凹みである(写真3)。沖縄戦の少し前、一九四五年四月に九州の南方海上を航行していたミズーリに特攻機が突入を試み、右翼だけが当たったのである。パイロットの遺体は甲板に投げ出され、米兵がすぐ海に捨てようとした。しかし、上官がこれを制止し、「彼は立派に任務を遂行したのだ」と、日章旗を徹夜で縫い、翌日ブラスバンドの演奏を伴って正式な水葬を行ったそうである(写真4)。戦後、このパイロットが誰だったか日本で調査して特定し、遺族を招待してハワイ知事も出席して改めて追悼式を行ったという。

写真6

この時点までで、ツアー参加前にやや怖れていた居心地の悪さは、軽い驚きとともに、ほとんどなくなっていた。「だまし討ち」「卑劣」「国際法無視(宣戦布告が遅れた件について、少なくとも特筆大書しているような解説は目にしなかった。)といった批判やけん責ではなく、全体として、日米は「ともに全力を尽くして戦った」、そして「敵ながらあっぱれ」という、「尚武の精神」というか、武士道や騎士道、戦場のヒューマニズムといった、美談仕立てになっているようでもある。

もっとも、ただホッとしているだけでは、ちょっとお人好し過ぎるだろう。真珠湾攻撃自体とは無関係のミズーリがなぜここにあるのか。それは、「日本の挑発」で始まった戦争がアメリカ軍の「正義の鉄槌」によって終わったという「勧善懲悪」のストーリーを示すためである。パワーと正義が一体のアメリカ的な世界観や歴史観が前提になっていることは明らかであろう。ミズーリ艦内には、降伏文書調印の式典に関する写真などが数多く展示されており、その中には、10人程度の重光外相たちを優に百人を超える米兵が何層にもなった上部甲板から見下ろし、取り囲んでいる写真もあった。日本の教科書や書籍にはあまり掲載されないタイプの写真ではないかと思う(写真5)。

写真7

ミズーリのあとは、当時の日米の戦闘機の実物が並ぶ航空博物館(写真6)で昼食、午後には、シアターで全員決められたビデオを見てから専用の船で「アリゾナ記念館」を訪れた(写真7,8)。戦艦アリゾナは真珠湾攻撃で沈められ、1177人の水兵が亡くなった(写真9,10)。史料の展示はなく、「英霊」の慰霊や追悼が中心。まさに「アメリカ人のための」施設である(写真11)。平和を勝ち取ってきた中での「尊い犠牲者」を忘れてならない、という思いが貫かれている。少なくとも、「過ちは繰り返しませぬ」といった、反戦的・厭戦的な決意ではない。事前に見せられる真珠湾攻撃の映像も、ナレーションはとくに扇情的ではなかったが、映像であるが故にエモーショナルな効果を発揮する。一般の観光客の場合、ガイドの話しを聞き流しているとか、説明を読み飛ばしている人もいるであろうから、映像の迫力だけが記憶に残るに違いない。

写真8

もちろん、真珠湾の見学スポットはアメリカ軍の施設であり、軍事的な文化を全否定したり、日本を擁護するようなプレゼンテーションを期待したりはできない。ただ、その割には全体としてフェアな展示ではなかったかと思う。背景として、アメリカの歴史学者の層が厚く、適切に監修されているという印象も受けた。戦後五〇年くらいまではかなり一方的な展示であったと聞くので、安定した日米関係と、関係者、とりわけハワイで一定の力を持つ日系人の努力によるところも大きいのだろう。

二〇一六年には、オバマ大統領の広島訪問と、安倍首相の真珠湾訪問が、いわばセットで実現した。それが日米の「和解」の最終的な形なのかは分からない。現状の真珠湾展示も一つの「和解」にはなっていると思うが、ここで語られている以外の重要なストーリーはいろいろある。たとえば、ジョン・ダワーが『人種偏見』で描くような、日米戦争の「人種戦争」としての側面、一般人の大量殺戮を伴った原爆投下や各地への戦略爆撃は真珠湾と対にして論じてよいのか、重慶爆撃のような日本軍の行動はどうか、あるいは、911テロと「パールハーバー」を対置するのはどうなのか、など。

写真9

「和解」とは、あるストーリーを共有することでもあろう。そうすると、そのストーリーを誰が共有するのか、できるのか、という話になる。全人類はおろか、特定の国民や民族でも同じストーリーを共有することは、相当に難しいのが現実である。真珠湾の展示から読み取れるようなストーリーは、誰によって共有されているのか。

改めて、同じバスのツアー参加者や周りの観光客を見回してみる。明らかに白人が多く、中国系か韓国系か、東洋系らしき人は多少いたが、黒人はわずか。ファッションや振る舞いから見て、どうも「保守系」の方々が多い印象である。ニューヨークやカリフォルニアで見るような陽気で明るく屈託ないアメリカ人というより、「アメリカ」にこだわり、「自分たちの歴史」を確認しに来ているよう人々、という感じである。誰が真珠湾を訪れているのか、人種別の統計などあるのか、そんな調査が可能かどうかは怪しいが、もし可能なら興味深いだろう。

写真10

悲劇や対立の歴史が刻まれた場所を訪ねることは、近年「ダークツーリズム」と呼ばれて注目されている。私もこのところそれを実践しているわけだが、そうした場所で感じることは、訪れている人の人種や属性にはかなり偏りがあるな、ということである。911メモリアルでも異様に白人率が高かった。論争的な歴史事象を扱った博物館は、実際には、あらかじめかなり「結論」が決まっている人々が、自分の思いをより強固にするために「巡礼」する場所になっている面はないだろうか。

真珠湾には、やはり日本人観光客は少ないように感じる。ハワイを訪れる日本人の数はきわめて多く、ワイキキでの圧倒的な日本人率と比べると、やはり真珠湾は「何となく行きにくい」場所なのだろう。しかし、欧米のメジャーな観光スポットの中で、これほど日本が「主役級」で登場する場所はほかにないだろう。ぜひ、もっと多くの人が訪れ、いろいろな「和解」の形を考えて欲しいと思う。

写真11